イギリス留学 ヨーロッパの街

ポーランド紀行 歴史は現在に続く

2017年11月6日

今月はポーランド、クラクフに行ってきました!

中世をそのまま感じられる雰囲気の良さ、物価の安さ、治安の良さ、その全てが群を抜いていました!!

 

 

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広場には馬車がたくさん。

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歴代国王41名が眠り、ポーランド王国の歴史を語るヴァヴェル城

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世界遺産登録第一期に選ばれているその街並みは圧巻

さて、クラクフの街並みには華やかさと荘厳さを同時に感じ圧倒されますが、

真の目的地はここ。

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アウシュビッツ・ビルケナウ収容所。

教員として、どうしても自分の目で見ておきたかった場所です。現在は博物館になっていて日々多くの人々が訪れます。

クラクフから約1時間半ほどでアクセスできます。じっくりと詳しく理解をしたかったので日本語のツアーで廻りました。

「ユダヤ人は完全に絶滅させなければならない人種である」「我々はドイツ国民をポーランド人、ロシア人、ユダヤ人から解放しなければならない」「最も重要な課題はポーランドの指導者全員を痛めつけるために彼らを探し出すことだ。ポーランド人の専門家全員を我がナチスドイツの軍事産業で利用する。その後ポーランド人全員がこの世から消える」そうした反ユダヤ主義・反民主主義・ドイツ民族の優越を根本としたナチス思想の元、1940~45年の間に、ユダヤ人を主に、ポーランド人、ジプシー、ソ連軍捕虜等約110万人がここアウシュビッツ・ビルケナウで犠牲になったとされています。

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現存している唯一のガス室(その他は終戦間際に証拠隠滅のため爆破された)

明るくはなくとも新たな生活が始まるとの思いで、たくさんの荷物を持って列車で連れてこられた人々は、列車を降りて選別を受けました。そこで労働に適さないと判断された老人・病人・妊婦・子供のほとんどは、すぐにこのガス室へと送り込まれました。

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大量殺戮を可能にした毒ガス・チクロンBの空き缶

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子供たちの靴

その他にもカバンやブラシなど当時収容されていた人々が使っていたものや、女性の髪の毛等が、重々しい雰囲気の中、当時の姿を残したまま展示されています。

また当時の生活の様子を映す写真の数々、ガス室の模型、拷問部屋、焼却場、数千人を銃殺した死の壁、囚人が生活を送った囚人棟などを実際に見学することができます。

たった70年程前に人が人に対して出来てしまった悲劇の歴史を、「記憶の場」として、ここアウシュビッツ・ビルケナウは世界中の人々の心に忠告しています。

あまりの悲惨さに見学後は暗い気持ちになり、食欲もなくなりましたが、是非多くの人々に実際に訪れてみてほしい場所です!

中学校ではアンネの日記に付随して少し触れますが、映像等を利用しながら生徒たちに語り継ぐべき歴史です。

 

もう一つ、歴史が現在へと続いていると感じたことです。

クラクフでの夜は、ポーランド最古の大学、ヤギェウォ大学の学生10名程と飲んだのですが、日本に詳しい学生がたくさんいたことに驚きました!ある学生は上杉謙信がトイレで最期を迎えた話(私が知らなかった)、ある学生は村上春樹をコンプリートしているという話(ノルウェーの森の人物3人言ってと言ったらちゃんと答えた!)、ある学生は剣道に夢中だという話をしてくれました。

たまたま日本人がいるから日本好きが集まったのかもしれませんが、それでも日本に関心を持ってくれている学生が多く、とても嬉しくなりました。

嬉しくなったので少し調べてみると、やはり歴史から続いているのですね。

・日本が当時ポーランドを支配していたロシアに日露戦争で勝利、小国日本が勝ったことに勇気をもらった

・ロシア革命の際、路頭に迷っていたポーランドの孤児765名を日本赤十字が救助

・ナチスポーランド侵略時、杉原千畝が命のビザを発行

残念ながらロシアとドイツに侵略を繰り返されてしまったポーランドに、所々で救いの手を差し伸べていたのは日本であり、また他国に侵略を許さず自国の伝統や文化を保ちながら近代化を成し遂げてきた日本だからこそ、ポーランド人に今もなお関心を寄せられているのでしょう。現在クラクフには日本美術技術博物館があり、ポーランドのみならず,中・東欧地域における日本文化紹介・普及の一大拠点としても有名になっています。

 

「”今”が良くて、未来の日本に悪影響があってはならない」と 当時諸外国で生涯をかけて働き通した日本人はたくさんいます。

 

台湾で巨大ダムを建設した八田与一さん、ブルネイで現地の人々の生活を第一に考え発展に貢献した木村知事、終戦後もインドネシアに残り、自由を勝ち取れと独立戦争に参加した義勇軍の方々。

そうした人々が「重要なのは今よりも未来の子供たちだ」「現地の人々が”自分たちで”豊かにしていけるようにしていかなければならない」と考え行動し、現地の人々と信頼関係を築いたおかげで、今でもなお「日本から来た」と言うと「日本から?!日本は行ったことはないけれどとても好きよ!!」と関心を持ってくれる親日の人々が多いのでしょう。

もちろん日本にも負の歴史はありますが、そうした世界で活躍した日本人の功績があってこそ、現在世界での日本人としてのアイデンティティはあるのでしょう。

英語ができないというのも残念ながら世界での日本人の特徴の一つですが、日本人としての自負と日本文化で育った経験を元に堂々と世界で活躍できる日本人がより増えていくように、学校では英語のみでなく、諸外国と日本の関係も伝えていきたいですね。

先生の知識・考えを植え付けるような授業ではなく、生徒が”自分たちで”考え、”自分たちで”知恵を増やしていけるような取り組み、授業を実践したいです。アクティブラーニングが注目されているのはそうした側面もあるのかなと個人的に思います。

 

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